2011年7月20日水曜日

近況

滞ってしまった。


このところ
プライベートでも、活動でも。いろいろあった。

端から全て並べていく気はないのだけれど、気にかかった事として、いくつか。

皆すごく疲れてきているなと、そう感じる事が多かった。

ツィッターとかやっている人は、少なからず知っているかもしれないが、放射能の事や、東電に関するニュースとか、
本当に四六時中流れてくるし、
一方で、いい加減大丈夫じゃないのという空気すら漂い始めてきた。全然大丈夫ではないんだけれど。




いわきと福島に、反脱卒/原発デモで行った。
いわきのときは、10人ぐらいで一台の大きな車で行った。
特に知り合いがいる訳ではなかったのもあってか、事故後の福島に入るのはすごく緊張していた。
運転席の誰かがこれから福島に入るよと声をかけてくれて、
運転席の方に目をやると、
ここから福島
という看板を見つけたとき、内心怖かった。

海岸まで行った。津波のとんでもない力を、見た。
よく晴れた日で、海を見れば今は穏やかで、日の光を反射させてきれいだと思う。
でもその反対側は何とも言葉にできない景色だった。

写真などは撮っていない。








いわきのデモが始まってしばらく歩くと、避難所の前を通った。
手を振ってる方や、
どうかお願いします
と、僕にまで声をかけてきたおじいさんがいた。
デモの終盤、地元の高校生がデモに飛び入り参加。
拡声器でシュプレヒコールを。



デモの終わりまでついてきたから、
いくつ?と聞いてみた。
16歳と17歳の二人だった。柔道部らしい。
16歳の子が手に包帯していたので、部活で怪我したの?ときくと、
いや、喧嘩っす。
と、ドヤ顔したのがかわいかった。
放射能は怖いと言っていた。でもあまり気にしなくなってきた。マスクはしてるけれど。と。
僕が着ていた服やブーツが欲しいと言っていたが、代わりの服くれたらいいよというが、やっぱいいっすと。
解散地の公園を離れ、
皆でデニーズでご飯を食べて帰ったのだけれど、そこでやっとすこし緊張がほどけた気がした。




















福島市県庁前集合のデモに参加した時、
朝からずっと雨で、福島も雨だった。
満員となった60人乗りのバスで、向かった。
いままでにない緊張だった。
ナイロンジャケット着ていったのだけど、フードをかぶると、音が聞こえづらくなったから、もういいやと、フードをやめた。
雨でスルドの打面に水が溜まるが、バチを打ち付ける度、水がはねていった。
この日一緒に行ったイルコモンズさんの服からは1.44μSvが検出されたようだ。
ごたぶんにもれず、僕もそうでしょう。
デモが解散地点に到着して、叩き終えると、すぐに福島の子供を持つお母さんが話しかけてきてくれた。
お礼を言われているが、とても複雑だった。
なんと言葉を返していいのかわからなかった。

福島の原発は東北電力のものではない、東京電力のものだ。

どのツラ下げてデモするんだろうと、いつも考えてきた。















前にも書いたが、僕自身、原発については無知だった。
今も勉強中だが、
原発を止めたいと強く思う理由は一つ。


これから生まれてくる
これから育つ
命の可能性を奪わないでほしい
子供を産み育てたいと言う、希望を女性から奪わないでほしい


誰がなんと言おうとこれだけは譲れない。