2011年11月20日日曜日

昨日は暗い日曜日に参加して、REDNECKSの企画ライブに出かけ、モチベーション代行のクロージングパーティー(第二部)に。

暗い日曜日。原発の葬式という事で、皆喪服を着たり黒い服装で、木魚を叩いたり、遺影をもって行進していました。
ただしシュプレヒコール的なかけ声や、リズミカルな打楽器は駄目で、湿っぽく、暗い感じになるもの、鎮魂感を一人一人が演出してほしいという内容でした。

僕は何やったかと言えば、空間系の音をサンプラーから携帯用スピーカーで出しました。不穏な感じで。
やっぱり参加社全体に「原発の葬式」という意思があるからだろうか、何かを「墓地」へ連れて行ってる/運んでいる感じ、すごくした。
デモというより、やっぱりすごく葬列だったし、なんだか我々の念そのものが死神なような気もした。
デモも儀式性があるけれど、デモで葬式は、とてもしっかり、まっとうな儀式だったように感じた。




クロージングパーティー(第二部)で、捩子くんの受賞者スピーチがすばらしかったという話で、僕は見ていなかったので、みてみた。


参加していたときから、色んな事を考えていたけれど、捩子くんのこのスピーチは素晴らしかった。

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追記:このスピーチがいつか見れなくなるであろう事を考え、サイトから文章を引用し、ここに載せる。
捩子ぴじん受賞コメントより抜粋:

受賞するかはわからなかったですが、テキストを用意してきました。
電車で暗記してきたのでそれを言うこともできますが、もう6時間前に起き抜けにパソコンに向かって書いた自分が全くの他者のような気もするので、読むことにします。

東京に住んでちょうど10年になります。来年は東京を離れ、九州の別府に移住するのですが、その前に東京の名前を冠したアワードを受賞したのは節目のような気もするし、後ろから呼び止められているような気もします。
別府に行って何をするかといえば、決まったプロジェクトもなく生活のあてもありません。
今後、舞台作品を創るかどうかもわかりませんし、
これまで便宜的に自分が使ってきた振付家・ダンサーという肩書は、日本の、東京というローカルな地域のみで通用する肩書のような気がします。
それに私には、これまでに先人が積み上げてきたダンスや振付に接続できるような専門性はありません。
ただ確かなのは、何かをするだろう、何かを調べ、探し、アウトプットする。
そのモチベーションだけです。
それが舞台作品や、既にある表現形態をとって現れることもあれば、そうではないこともあるでしょう。
なので、果たして自分がこれから「アーティスト」と名乗る必要があるかどうかも分かりません。
もし、アーティストという肩書が職業であるならば、
僕はそれで生活して食べているわけではないので、
僕はアーティストではないでしょう。
それで構いません。
今だったら僕は、フリーターもしくはファミマの店員、と呼ばれます。
ただ、アーティストという言葉は職業であると同時に、
人間に備わった潜在的な役割も指しているのではないかとも思います。
震災があり原発事故の渦中でこう考えました。
今ある文明・文化・社会が崩壊しても、何かを作ることかは可能だろうか。
当然のことながら、答えばYESです。
これに関しては、その答え以外には、ない。
中学校の教師の言葉のようなものです。
「やればできる。大丈夫だ。お前にも将来がある。」
もしそれが難しいと言うならその人は教師でないのと同然で、それは芸術ではないでしょう。
我々アーティストも同じです。
いかなる状況でもいかなる形でも、人間に向けて発信することが、我々の使命です。
「モチベーションは、人に教えたり、人に渡すことはできない。でも、それを伝播させたり、誰かの代わりに何かしてしまうことはあるだろう。」
これは尊敬する、同時代を生きる、あるアーティストの言葉です。
僕には過去の芸術の歴史に接続するような専門性を積み重ねることはできませんが
その潜在的な役割に向けて発信し、その存在をすくいあげることはできるでしょう。
もし自分がアーティストである、と自称することがあるなら、それが私の役割です。
全てのアーティストにむけて『モチベーション代行』を創りました。
皆さん、創り続けてください。
そのモチベーションが、作品に触れたすべての人、そして、私のいない、あなたのいない未来にまで伝播して、誰かが何かをする、と信じています。
ありがとうございました。

追記 終わり
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関係ないと言えば関係ないが、
あるバンドが解散ライブのとき、客は皆で、
「早くやめろよ!」「いつまでだらだらやってんだボケ!」といったぐあいに、笑顔で野次り、
バンド側も「やめるのも結構いいよ!」「皆もやめたら?」とかえしていたけれど、
最後の曲をやる前に
「続けてくれ。頼む、続けてくれ」と客に向かって言ったボーカルの事は忘れないだろうし、このスピーチで彼の事を思い出した。

表現をするという事。生きて行くという事。